ぼちぼち書くブログ

日記とかうまいもんとかパソコンのことをマイペースで記します。高知市に住んでいるので地元の情報も投稿します。

資格という形のないものを作る賢さ~申請から二週間以上未だ免状届かず

第二種電気工事士の資格試験を受験して合格通知を受け取り、翌週に仕事の休みを取って手続きを済ませてきたのですが、二週間以上経った今日も免状が届いてません。どういうことよ?

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おそらく申請が集中していて発行処理が遅れているのだとは思いますが、やっぱり役所(上がりの人達の)仕事だなって思います。これ民間企業だったら必死になって発行処理してますよね。遅くなったらお客からクレーム来ますし。私は手続きに行った時に二週間位だといわれました、連休を挟んでいると言っても二週間は余裕で経ってます。国家資格取得にはお客という概念が無いですからね。

資格産業

資格試験という制度自体がある種の産業になっていると私はこの歳になって気づきました。国の立場で商売してます。かかわっている人達が仕組みを作って、資格という形のないものを売りものにして、教材やら受験費用やら、多くの要素でお金を集める仕組みを作っているなのです。

頭良いなぁ~って思います、本当に。

資格を取得していれば、特殊な仕事が出来たり、それを売りにした技術をお金に換えることができるという特権みたいなのを持てる訳です。若いころはこの資格というものを正しく理解できていませんでした。

資格を持っている人が仕事が出来るとは限らないのを現場で何度も見ました。なので私は妙なプライドから、「資格なんか要らん、仕事できる方が重要」なんてことをまじめに思っていました。資格を一生懸命取得することに妙な反発心を持っていた様な気がします。

資格社会

サラリーマンとして、まともな会社の社員として働いていた時には、こういう考え方でも上司から評価されたり、後輩から頼られたりして自分のプライドみたいなものを保てたのですが、体を壊して会社を辞めて一匹狼な状態になった時に、初めて資格の重要性に気づきました(でも資格を理解してなかった)。

求職活動では資格は武器の一つの様なものですから、強力な資格を持っていればそれだけで評価されます。丸腰に近い状態で求人に応募しても、こんな武器しか持ってないの?みたいな感じで対応されてしまいます。どれだけ過去に経験を積んでいても、それを職務経歴書に記しても、履歴書の段階で却下されてしまう可能性が高いのですから。

もちろん求人を出している企業としては、即戦力を欲しがる傾向が強いので、過去に同じ様な仕事をした経験があるというのは評価されます。しかしそれを証明する武器を持っていないと、本当に経験積んでるの?仕事できるの?という目で見られます。たぶん見られていたと思います。私自身求職活動で何度か悔しい思いをしました。仮に採用されたとしても給与面で足元みられたりします。その会社が価値あると思っている資格を持ってるだけで報酬額が違いますからね。

フリーランス

個人事業主として働いた経験があります。健康状態を取り戻して来たところでしたが、完全な体調ではなかったので、体調が悪い時には自分で調整して休めるようにできるのがこの方法でした。

結果的には現在はフリーランスではなくサラリーマンとして働いているのですが、フリーランスの経験は大きなものを得られたと思います。もっと若い内にこれは経験しておくべきだったなと思います。

一つのメリットは経営者的な視点で見られたことです。コピーを取ったり、プリントアウトをすること、交通費をかけて移動することなどもすべて経費がかかります。サラリーマン時代には当たり前に思っていた経費が、思っていた以上にのしかかってくる事を知ることが出来ました。それを取り返すために物(サービス)を売って報酬を得る訳ですが、差し引きしたものが利益であり、そこから自分の給料が出る訳です。なかなかしんどい仕組みだなと思いました。

ある程度の道筋(コネクション)が出来ると人づてに仕事を紹介して貰えたりして空振りが減ってくるのですが、始めたばかりは空振りすらできない状態で時間が過ぎていくことが多かったのですから、組織に属して給与を得るという事はかなり守られているんだなと気づきます。

ただ、守られている立場じゃ偉そうなことは言えないというのも学びました。荒波に自分から突っ込んで行って乗り越える位の事を達成できないと、人並み以上のお金を手にすることはできないのだなとか。まぁ甘くはないです。誰も管理してくれませんからサボろうと思えばなんぼでもサボれますし。

資格を使わない場合も多々ある

話を資格にもどしますが、ようやくわかったことは、資格というのは権利を手に入れることです。資格を持っていても邪魔にならないという事はよく言われるのですが、使わないと全く意味がないものでもあります。それは権利を使ってないだけの話です。

運転免許を例に出せば、免許を持っていても自動車やバイクに乗らない(運転しない)なら、全く「運転出来る権利」を使っていません。たんなる身分証明書位にしか役立たないです。それでも持っているということは「いつでもその権利を使うことができる」訳です。

資格=権利と考えると非常にわかりやすいです。

権利はお金に換えられる

無資格の人にはできないことが出来るという事は、報酬を得ることが出来る権利を持っていると考えられます。「無資格の人=一般人」と置き換えれば、一般人にはできないことが出来るという事ですから、「あなたの代わりにやってあげるから報酬を下さいね」という事が出来るのです。これが権利を持っていると言える所以です。

また、別な例を出せば、閉ざされた場所に立ち入ることが出来る権利を持っているとも言えます。某芸能人が牛肉じゃなく牛を買える資格を持っているという話を聞いたことがあります。なんで芸能人が牛を買う必要がある!という反応をしてしまいますが、資格を持っていない人はその場所に立つことが出来ない位のものですから、言い換えれば牛を買わなくても「その場所に立つ為には資格が必要」という事になります。

要するに許可証

株式投資をするには、証券取引の登録をして資格(お金がかかる)を得なくては始められません。だからと言って株を買わなきゃならない規則は無いはずです。

漁協が管理している河川で釣りをするには、遊漁券を買って釣りをする資格を持たなくてはなりません。持っているからと言って釣りをしなきゃいけないものではありません。

こういうのを「資格」というんだなと、ようやく日本語を理解できたという感じの解釈が出来たと恥ずかしい思いでいます。許可証でええやん!と思うのは本当に本音です。

資格というから、試験を受けて水準以上だと判定されてから資格を得られるという思い込みがあります。この世にはお金で買える資格なんてなんぼでもある訳です。解釈の違いもあるとは思いますが、私は「許可証を持っている」という事と変わりないなと気づきました。

金で資格買ったらええやん

そもそも資格なんていうものは、この世に元からある訳ではありません。誰かがそういう仕組みを考えて、何かしらのルールを設定して、その資格(権利)を持ちたいなぁと思わせる魅力を見せつけて取らせる(売りつける)のです。

逆に言えばタダ(無料)で貰えるものに大した魅力はないですから、付加価値を付けてそれを欲しがる人を増やしているに過ぎません。

誰でもが簡単に合格できる資格なんて価値がありませんから、試験やお金で難易度を上げて欲しがる人の欲求を募る訳です。その資格があれば何かが出来る(資格がなければできない)というハードルがなければ魅力がありません。

お金があるならお金で資格買えば良いし、その資格を使って商売するなりおいしい思いをするなりすればよいのです。そういう仕組みを考えている人がおそらく一番おいしい思いをしているのですが・・

資格をとるべし

若い頃にはさんざん「資格は取っておきなさい」と言われましたが、本当に意味を理解できていなかったと思います。今は本当に後悔しています。

歳をとると

  1. 仕事で忙殺される=意欲が沸かない(時間が無く勉強が難しい)
  2. 記憶力が落ちる(理解力はまぁ上がってるかな?)

特に前者が危険です。意欲の低下は全てを奪い去る魔性だと思います。

また、資格試験は記憶がほとんどですから記憶力が落ちた状態で学習しても、何度も何度も頭に入れては溢れての繰り返しでやる気が萎えてきます。若い頃には一度読んだ内容は簡単には忘れないなんて当たり前でしたが、歳を食うとそれが困難になってきました。

ただ、私の経験を当てはめると、生活の時間に余裕があると結構学習(記憶)出来るというのは体感しています。おそらく社会人として働いて時間を奪われていくことによるストレスが記憶力の低下にも関係していると思います。何事も余裕がないと効率が悪く無駄が多くなります。

学生の頃は遊びたいし、アルバイトもあるかも知れませんが、比較的時間は取りやすいはずです。もう少し正確に表現するなら、学生の内は強制させられることが少ないはずなのです。学校(学業)が強制と思うならそれは仕方ないですが、働かないと生活できないからストレスに晒されながら我慢して働いている社会人と比べると、学生さんは自分の意志は通しやすいと思います。もちろん転職する自由もある訳ですがそれで生活できる保障は全くない訳で・・・(家族を扶養していたら尚更)

学生の場合、学校ではもちろん勉強できる訳ですから、学校で学んでいることと関係する資格試験は学習しやすいというか超合理的な学習が出来るし最高の時間の使い方だと思います。

学生にとっては、「進路を決める」ということが将来的な課題にもなってくるわけですが、学生の段階で、どの資格を持っていてどういう仕事をしてどうやって稼ぐなんてことをイメージできている人は稀だと思います。だからこそ将来への先行着手として資格を取っておくという事は、「今は使わないけど将来使うかも知れない「許可証(権利)」を手に入れる重要なプロセス」だと思います。是非とも資格は取ってほしいと思います。特に今の世の中から冷遇されている若い人には資格欠かせないでしょ。

資格を持っていることが自分の価値になる

たとえ仕事の実部が出来なくても強力な資格を持っていれば、それだけで給料多く得られるとか現実はそんなことは世の中たくさんあります。資格保有者を専任させないといけないなんて決まり(ルール)も多々あるので、その資格を持っていればその人の名義だけで価値が有るのです。

世の中そういうもんだと知るのが遅かったのは本当に悔やみます。

だけどこの仕組みに気づいていない人は結構多いと思います。私はそのカラクリに気づいただけでも良かったかも知れません。本当に上手くこういう仕組みを考える知恵の回る人達が社会のルールを自分達の都合の良い様に作ってるんだなと思います。感心しちゃいます。

いわゆる勝ち組と負け組

極論言ってしまえば、ルールを作る側に立つのが一番だという事です。ルールという囲いの中で生きてる人と、ルールを作る人とでは立ち位置が違います。自分の都合の悪いことは基本的にルール設定しないはずなので、ルールに従わされる側はやっぱり不利です。

将棋で言えば先に王手した方が有利、オセロは先手有利、きっとそれ以上の格差があると思います。「契約書を作る側が有利」という事の方がピタッと来るかも知れません。

この世には、家庭を含めて大小さまざまな社会が存在します。その社会にはルールが自ずと設定されますが、やっぱりルールを作る側が有利なのは間違いありません。ちょっと意識して客観的に見ると、周囲にはルールを設定したがる人と、それに従おうとする人とに分かれます。不思議とそんなものです。

私は性分として後者側で生きてますが、時々やりにくい仕組みを変えるか事もある、という位置で生きてます。これは今までに携わった仕事の内容が関係していて業務の効率化や問題点の改善(ソリューション)を実現するには仕組みやルールの変更が必要だからです。

経験的に新しいルールを設定する側に立とうとする人はストレスを感じにくく余裕があると感じます。でも決められたルールの中でそれに従って生きるのも考え方によっては楽です。

勝ち組、負け組という言葉はあまり好きではないですが、自己分析してみるとお決まりのパターンにはまっている自分がいることに気づくものです。有利に行きたければルールを作る側に立つことを意識する必要があると思います。色々考えるのは苦手、ルールに従っていく方が気楽だという人も案外多いのが世の中です。社会(人の集まり)とはそういうもので成り立っている様です。